2010.01.03 Sunday
ひむかの神話めぐり
宮崎は、古事記・日本書紀に多くの舞台となっている、神話のふるさと。
その神話のふるさとで、初詣の元日に続き、二日は二社、三社に詣でた。
神々の系図は、神社での説明掲示を読んでもどうもわからない。
しかし、神社に詣でることで何らかの神示を授かるようようだ。
平安時代の延喜式には都農神社、都萬神社、江田神社、霧島神社が日向四社
と記されているということから、
行ったのは、西都市市街地だ。
木花知流比売=木の花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)を祀る都萬(つま)
神社へ参拝した。
縁結びの神として知られる都萬神社。
続日本後記に「承和4(837)年日向国子湯郡妻神預官社」と記される歴史
の長い神社だそうだ。
近くに日向の国府跡があったり、日向国分寺(跡)、平安時代に天皇家の
品物を収める倉をさす「三宅」の地名があったり...
私はネット検索で知ることになったのだが、
大昔は栄えた場所だったのかもしれない。
都萬は妻から変化したものらしい。
周辺の地名は「妻」である。
鳥居をくぐるとき、一礼をして入場し、
参道は端を通って(真ん中は神様のエネルギーが通るところだからだ)、
神社境内に流れる桜川の橋を渡り社殿へ進む。
目にするのは大木だ。大きな古樹を見て触らせていただくのは喜びだ。
境内には、お札等を焼く所があって、
近くの案内板には、コノハナサクヤヒメが三つ子の皇子を育てるのに
母乳では足りず、狭田の稲で甘酒をお造りになり、これをお乳代わりに
されたということから、日本でお米を原料として造る酒の発祥地とあった。
また、拝殿には現物を見ることができなかったが、
日本一の刀は全長3.5m。宝徳3(1451)年に献上されているとのことだ。
境内を散策すると、古樹が多い。
何度も火災に遭っているといううが、樹齢は1200年。幹周986cm 樹高18m
みやざきの巨樹百選となっている「クスノキ」だ。
都萬神社から西都原までの間に、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの
神話の舞台が点在する。
西都原までのルートは「記紀の道」と名付けられている。
次の神社へ向かう前に、西都原古墳群へ車を走らせた。
・・・[Photo Miyazaki 宮崎観光写真にあった記事を引用・・・
『西都原古墳群(さいとばる古墳群)は、宮崎県のほぼ中央、一ツ瀬川の
中流域右岸に位置する。西都市街の西、通称「西都原」(さいとばる)と呼
ばれている標高60mの洪積層台地を中心に東西2.6Km、南北4.2Km、(東京ド
ーム233個分)の広い範囲に分布している。
現在までの発掘調査より3世紀半ば(3世紀前半の可能性)から7世紀前
半に築造されたと推定されている。
前方後円墳31基、円墳279基、方墳1基、地下式横穴墓、横穴墓など、311基
のさまざまな古墳で構成された全国有数の 大古墳群であある。古墳の大部
分はいまだに発掘をされておらず,謎を残している。』
【車中より撮影した古墳群の一部】
その神話のふるさとで、初詣の元日に続き、二日は二社、三社に詣でた。
神々の系図は、神社での説明掲示を読んでもどうもわからない。
しかし、神社に詣でることで何らかの神示を授かるようようだ。
平安時代の延喜式には都農神社、都萬神社、江田神社、霧島神社が日向四社
と記されているということから、
行ったのは、西都市市街地だ。
木花知流比売=木の花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)を祀る都萬(つま)
神社へ参拝した。
縁結びの神として知られる都萬神社。
続日本後記に「承和4(837)年日向国子湯郡妻神預官社」と記される歴史
の長い神社だそうだ。
近くに日向の国府跡があったり、日向国分寺(跡)、平安時代に天皇家の
品物を収める倉をさす「三宅」の地名があったり...
私はネット検索で知ることになったのだが、
大昔は栄えた場所だったのかもしれない。
都萬は妻から変化したものらしい。
周辺の地名は「妻」である。
鳥居をくぐるとき、一礼をして入場し、
参道は端を通って(真ん中は神様のエネルギーが通るところだからだ)、
神社境内に流れる桜川の橋を渡り社殿へ進む。
目にするのは大木だ。大きな古樹を見て触らせていただくのは喜びだ。
境内には、お札等を焼く所があって、
近くの案内板には、コノハナサクヤヒメが三つ子の皇子を育てるのに
母乳では足りず、狭田の稲で甘酒をお造りになり、これをお乳代わりに
されたということから、日本でお米を原料として造る酒の発祥地とあった。
また、拝殿には現物を見ることができなかったが、
日本一の刀は全長3.5m。宝徳3(1451)年に献上されているとのことだ。
境内を散策すると、古樹が多い。
何度も火災に遭っているといううが、樹齢は1200年。幹周986cm 樹高18m
みやざきの巨樹百選となっている「クスノキ」だ。
都萬神社から西都原までの間に、ニニギノミコトとコノハナサクヤヒメの
神話の舞台が点在する。
西都原までのルートは「記紀の道」と名付けられている。
次の神社へ向かう前に、西都原古墳群へ車を走らせた。
・・・[Photo Miyazaki 宮崎観光写真にあった記事を引用・・・
『西都原古墳群(さいとばる古墳群)は、宮崎県のほぼ中央、一ツ瀬川の
中流域右岸に位置する。西都市街の西、通称「西都原」(さいとばる)と呼
ばれている標高60mの洪積層台地を中心に東西2.6Km、南北4.2Km、(東京ド
ーム233個分)の広い範囲に分布している。
現在までの発掘調査より3世紀半ば(3世紀前半の可能性)から7世紀前
半に築造されたと推定されている。
前方後円墳31基、円墳279基、方墳1基、地下式横穴墓、横穴墓など、311基
のさまざまな古墳で構成された全国有数の 大古墳群であある。古墳の大部
分はいまだに発掘をされておらず,謎を残している。』
【車中より撮影した古墳群の一部】